Stilllive Performance Art Summit Tokyo 2022
──Tribute of Performance Anthology
INTRODUCTION
共集性を起点に、来るべき身体を提示する
パフォーマンスアートプラットフォーム Stilllive は、2019年の設立以来、ゲーテ・インスティトゥート東京を一つの拠点としながら、多様なパフォーマンスを実験する場となってきた。4度目の開催となる、今回は、Stillliveのプラットフォームとしての現在地をめぐる議論を深めるべく、「Tribute of Performance Anthology」をテーマに、現代美術や音楽、演劇の前衛的な表現に多大な影響を与えた、フルクサス、ボディ・アート、寺山修司を参照項として、それぞれ、「パラレル・フルクソールム:Conviviality Session」「エイリアンズ・ノーマル:惑星都市の進化」「覚醒と幻惑:見えないものとの対話」の3つのプログラムを開催する。2000年代以降、コンテンポラリーアートとパフォーミング・アーツが相互的に拡張する傾向を表す「パフォーマンス的転回」が活発に議論されるなかで、’60年代のジャンルや表現手法、共集性に直面した実践は、集うことに制約のある、今現在だからこそ参照に値する。過去のパフォーマンスと相互応答する形で Stilllive という名の共同体が表すあらゆる題材や表現の交錯を一時的に束ねて見せる。Stilllive の共集の場としての意味は、この実践のなかで垣間見ることができるだろう。
Stilllive 主宰・小林勇輝
キュレーター・権祥海、西田編集長
「Stilllive Performance Art Summit Tokyo 2022──Tribute of Performance Anthology」
PROGRAM 1|2022.3.18 [FRI] 18:30-20:00 (OPEN 18:00)/TALK:20:00-21:00
PROGRAM 2|2022.3.19 [SAT] 13:00-16:00 (OPEN 12:30)
PROGRAM 3|2022.3.19 [SAT] 17:00-20:00 (OPEN 16:30)
会場|ゲーテ・インスティトゥート東京 (東京都港区赤坂7-5-56)
Venues|Goethe-Institut Tokyo [7-5-56 Akasaka, Minato-ku, Tokyo-to]
Artists
乾真裕子/姥凪沙/遠藤麻衣/岡田裕子+会田寅次郎/長田萌香/小野龍一/ガブリエル・リード/川口隆夫/金藤みなみ/小林勇輝/小宮りさ麻吏奈/阪口智章/佐野桃和子/敷地理/SuperHotPeePoolSongs/関優花/たくみちゃん/武本拓也/点子/トモトシ/中島りか/中谷優希/花形槙/花代/濱田明李/林千歩/前田菜々美/三好彼流/MIRA新伝統/吉田拓/靈樹/渡邉洵
INUI Mayuko/UBA Nagisa/ENDO Mai/OKADA Hiroko+AIDA Torajiro/OSADA Moeka/ONO Ryuichi/Gabrielle Reed/KAWAGUCHI Takao/KINTO Minami/KOBAYASHI Yuki/MARINA LISA KOMIYA/SAKAGUCHI Tomoaki/SANO Towako/SHIKICHI Osamu/SuperHotPeePoolSongs/SEKI Yuka/TAKUMICHAN/TAKEMOTO Takuya/Tenko/tomotosi/NAKASHIMA Rika/NAKAYA Yuki/HANAGATA Shin/Hanayo/HAMADA Miri/HAYASHI Chiho/MAEDA Nanami/MIYOSHI Karu/MIRA新伝統/YOSHIDA Taku/RAIKI/WATANABE Makoto
主催|Stilllive
協力|ゲーテ・インスティトゥート東京
助成|公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
企画・アーティスティックディレクター|小林勇輝
キュレーター|権祥海、西田編集長
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ドラマトゥルク|権祥海
プロジェクトマネージャー|黄夢圓、西田編集長
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テクニカル|尾崎聡、河内崇
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記録写真|片岡陽太、野田祐一郎、ユリア・スコゴレバ/記録映像|酒本凌、仁山裕斗/宣伝美術|阪本あかり
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当日運営|黒瀧保士
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協力|MIZUMA ART GALLERY
PROGRAM 1
「パラレル・フルクソールム:Conviviality Session」
"Parallel Fluxorum: Conviviality Session"
*特設ページはこちら
Performance view “Stilllive 2022 Performance Art Summit Tokyo” Courtesy by Goethe-Insitut Tokyo Photography by Yohta Kataoka
Performance view “Stilllive 2022 Performance Art Summit Tokyo” Courtesy by Goethe-Insitut Tokyo Photography by Yohta Kataoka
2022.3.18 [FRI] 18:30-20:00 (OPEN 18:00)/TALK: 20:00-21:00
料金|一般 3,000円/学生 (又はU24) 1,000円
Artists
乾真裕子/姥凪沙/遠藤麻衣/長田萌香/小野龍一/川口隆夫/小林勇輝/佐野桃和子/敷地理/関優花/武本拓也/点子/帆波 [MIRA新伝統]/三好彼流/吉田拓
INUI Mayuko/UBA Nagisa/ENDO Mai/OSADA Moeka/ONO Ryuichi/KAWAGUCHI Takao/KOBAYASHI Yuki/SANO Towako/SHIKICHI Osamu/SEKI Yuka/TAKEMOTO Takuya/Tenko/HONAMI [MIRA新伝統]/MIYOSHI Karu/YOSHIDA Taku
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Leading by 小林勇輝 KOBAYASHI Yuki
Statement
2019年の設立以降、Stillliveにおけるセッションは、1960年代に活動したフルクサスの「芸術共同体」を一つの手掛かりにしている。パフォーマンスアートという自生的表現において、集団的なレベルから見た個人の身体は、常に議論されてきた。フルクサスでは、他ジャンルのアーティストによって構成されたインターメディアという特徴や、スコアに基づいた日常的行為が「イヴェント」として実施された活動によって共同体となっていた。そしてオープンな環境の中でお互いを尊重しあい、緩やかな共同体として枠組みを構築していたことが、イヴァン・イリイチが語る「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」概念とも通底する。コンヴィヴィアリティとは、「人間的な相互依存のうちに実現された個的自由であり、またそのようなものとして固有の倫理的価値をなすもの」である。
本企画では、Stillliveというプラットフォーム、あるいは共同体を我々自身によって検証するために、セッションによる協働性と、生の身体が放つ偶発性が際立たせる個人としての身体の現前を試みる。そしてコンヴィヴィアリティが「自立と共生」という相反する言葉によって同時に解釈されることが、現代社会を生きる我々の身体にとっての日常的な時間や空間、振る舞いの異なる個性が実際の社会でも衝突や調和を繰り返し構築されるという縮図を現前する。またアーティストが制作の種とする実存性や性質、状態などが日常における過剰性を表象し、同空間において相互的に身体が交差することで、同調圧力の危機感、社会環境のメタファーやタブーなどを浮き彫りにする。実際のセッションでは、音楽をベースにした共同制作、10月に行われたパフォーマンスや、アーティスト自身が個々に発展させたい要素を再体現(re-embodiment)する。
小林勇輝
PROGRAM 2
「エイリアンズ・ノーマル:惑星都市の進化」
"Aliens Normal: Evolution of Planetary City"
Performance view “Stilllive 2022 Performance Art Summit Tokyo” Courtesy by Goethe-Insitut Tokyo Photography by Yohta Kataoka
Performance view “Stilllive 2022 Performance Art Summit Tokyo” Courtesy by Goethe-Insitut Tokyo Photography by Yohta Kataoka
Performance view “Stilllive 2022 Performance Art Summit Tokyo” Courtesy by Goethe-Insitut Tokyo Photography by Yohta Kataoka
Performance view “Stilllive 2022 Performance Art Summit Tokyo” Courtesy by Goethe-Insitut Tokyo Photography by Yohta Kataoka
2022.3.19 [SAT] 13:00-16:00 (OPEN 12:30)
料金|一般 3,000円/学生 (又はU24) 1,000円
Artists
岡田裕子+会田寅次郎/小野龍一/ガブリエル・リード/金藤みなみ/小林勇輝/小宮りさ麻吏奈/SuperHotPeePoolSongs/花形槙/林千歩/三好彼流/MIRA新伝統/渡邉洵
OKADA Hiroko+AIDA Torajiro/ONO Ryuichi/Gabrielle Reed/KINTO Minami/KOBAYASHI Yuki/MARINA RISA KOMIYA/SuperHotPeePoolSongs/HANAGATA Shin/HAYASHI Chiho/MIYOSHI Karu/MIRA新伝統/WATANABE Makoto
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Curated by 西田編集長 NISHIDA Atsushi
Statement
新しい未来は、新しい神話である──。近く、芸術と科学が生命の未来を更新するとき、それはサイエンティフィック・イマジネーションの賜ものであるのみならず、神話と神秘主義といった過去の諸相と交差する。つまりは、"科学的想像力による一万年後" と "神話的想像力による一万年前" は、同一性を持つ。この問題提起によって試みるのは、身体の "変身"、"拡張"、"転移"、といった "身体への人間の行為能力"、その超ポジティブな肯定である。人間という種がもつ身体性はどこまで変容可能か。これをまさに身体を用いて物事を荒立てるパフォーマンスアートで実践することを、"トランスフォーマティブ・パフォーマンス (変容的実行) " と名付ける。本ショーイングが提示するのは、14組のアーティストが行為主体として選びとった、来るべき生命= "ポスト・ヒューマン" の超越的な更新となる、想像を超える身体性とその社会実践、それによって可視化される自明性を疑問視する意思である。身体とは個物でありながら、社会的であり政治的なものであり、人間を超えた環境と社会的政治性と関わるものとして、実態を超えたより大きなスケールで捉えられるべきものなのである。あらゆる身体への、あらゆる想像は、すでに虚構でなくはない。
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タイトルに冠した "エイリアン" とは、"異星人" を指す言葉として定着しているが、本来は "異邦人 (=外部から来たもの) " を指す言葉である。「エイリアンズ・ノーマル」とは、あらゆる人のもつ、あらゆる想像が、当たり前に解放される世界を想い描いて題しており、副題の「惑星都市の進化」は、そういった世界になることが、地球という惑星にとって "進化" であることを表している。よって、本ショーイングでは、新たな都市論の提唱として、複数の身体性が集う、一つの空間を、一つの都市と見立てる。ここに託す含みは、クィア理論がもつ包摂の眼差しである。クィア理論は、あらゆる性的な態度の区分による、あらゆる判断を拒絶し、すべての存在を承認するラディカルな価値転換の意思に端を発した思想であり、これを受け入れた共同体をも意味する。都市とクィアとポスト・ヒューマンは似ている、今はまだ、違う星に住んでるのでしょうが──。
本ショーイングが始点とするのは、今現在、強いられている身体性への思い込みとは何かを検証することであり、ここから特筆すべき今現在の社会課題として浮かび上がったのが、"自立/共生という相互扶助の条件" "男性/女性というセックスとジェンダー区分" "人間/非人間の関係性" という事柄である。この問題系に ’10年代を通した情報テクノロジーの常態化を契機とした "マイクロポリティクス" の全面化と、今現在、より切実となった、ウィルスと共生していかざるを得ない状況を問う過程で喚起された問題意識を接続させることによって、未だ明かしえぬ人類史における身体性への思い込みに異議を唱え、身体性を起点に特異点を紡ぎ、形式化するコンテンポラリーアートヒストリーに見直しを迫る。
コンテンポラリーアート・シーンにおける、生命の概念の更新、それは、"バイオ・アート" による科学と芸術が共同する実践の蓄積、"ポスト・ヒューマン" (ジェフリー・ダイチ, 1992年) や "トランスフォーメーション" (中沢新一・長谷川祐子, 2010年) といったテーマを掲げた企画展の開催や、"スペキュラティブ・デザイン" を標榜するデザイン思想の潮流から複数の作品が選出可能なこと、コンテンポラリーアートとパフォーミングアーツが相互に拡張し、"ニューメディア" として身体を捉える潮流など、先行実践については枚挙にいとまがない。そして、特筆すべきは、近年において、"新しいエコロジー" といったキーワードで総称される、人類学を中心とした諸学問との知的共創による潮流である。新しいエコロジーをテーマとした大規模な国際展は、各地で開催され、社会的な注目を集めている。
本ショーイングは、こうした先行実践を踏またうえで、特に "ポスト・ヒューマン" と "トランスフォ ーメーション"、さらに加えて、この系譜の先駆的潮流といえる、’60年代末から ’70年代にかけて最盛した、身体を媒体とした芸術であるのみならず、人類学を伴う身体改造を指す "ボディ・アート" を参照l項とする。そしてこれに、科学的想像力と神話的想像力という視点を取り入れることで、今現在まさに生命の概念の更新が差し迫っていることを伴わせ、旧来の定義を超えた現在形のカテゴリーとしての再生産を提示する。
現在、有機体としての身体を叡知や理性の象徴として実質的に所有する我々は、理性では制御できない不安定で過剰な情緒の吸引装置としての身体を忘却しかけている、人類史において極めて特異な機能錯誤状況を生きている。歴史とは常に、浮動的状態と断片的状態の間で振動する運動体であり、この時間における不二と二分を踏まえてこそ、人間の生における死のもつ意義を自覚する限界状況を受け入れることができる。人間の交わりとは、すべからくばらばらであるから、他者と共に生存していくためには、身体の可能世界への欲望を現実として共有することこそが不可欠な認知である。身体は傷つきやすい、だからこそ連帯が可能となる。これが今現在の現実に唯一残された可能性である。"エイリアンズ・ノーマル" と "惑星都市の進化" はメタファーではない、現実となる。本実践は、本ショーイングを "一万年後と一万年前のアートヒストリー" に位置づけることを目的として実施する。
西田編集長
Performance view “Stilllive 2022 Performance Art Summit Tokyo” Courtesy by Goethe-Insitut Tokyo Photography by Yulia Skogoreva
Performance view “Stilllive 2022 Performance Art Summit Tokyo” Courtesy by Goethe-Insitut Tokyo Photography by Yohta Kataoka
Performance view “Stilllive 2022 Performance Art Summit Tokyo” Courtesy by Goethe-Insitut Tokyo Photography by Yohta Kataoka
Performance view “Stilllive 2022 Performance Art Summit Tokyo” Courtesy by Goethe-Insitut Tokyo Photography by Yulia Skogoreva
2022.3.19 [SAT] 17:00-20:00 (OPEN 16:30)
料金|一般 3,000円/学生 (又はU24) 1,000円
Artists
姥凪沙/長田萌香/小林勇輝/阪口智章/佐野桃和子/敷地理/たくみちゃん/武本拓也/トモトシ/点子+靈樹/中島りか/中谷優希/花代/濱田明李/前田菜々美
UBA Nagisa/OSADA Moeka/KOBAYASHI Yuki/SAKAGUCHI Tomoaki/SANO Towako/SHIKICHI Osamu/TAKUMICHAN/TAKEMOTO Takuya/tomotoshi/Tenko+Raiki/NAKASHIMA Rika/NAKAYA Yuki/Hanayo/HAMADA Miri/MAEDA Nanami
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記録作成:関優花+藤澤奈穂
キュレーション:権祥海
Curator's note
コロナ禍における移動や集まりの制限は、私たちが身体を媒介に共有してきた共通の領域を再編しつつある。人間同士の接触の不在は、新自由主義下の終わりなき生産と消費の欲望と結びつきながら、個々の領域の拡大を加速化している。握手や抱擁が許されず、生者を祝ったり死者を弔ったりすることも自由にできない中で、我々の身体に付きまとう紐帯、エネルギー、霊、ウイルスのような「見えないもの」は、常に除去 (除菌) されなければならない。
哲学者のハン・ビョンチョルは、現状における他者との共鳴経験を失った兆候を指摘しながら、共同体の営みに欠かせない象徴的な力、つまり儀礼 (ritual) の新たな形態を発明すべきであると提言する。一般的に儀礼は、習慣化された行為を意味し、特殊な身振りと言葉、テクストの朗唱、行列や移動、物体の操作、特別な衣服の着用、食物や飲料の摂取といったパフォーマンスを伴う。重要なのは、儀礼が身体を媒介に自我を脱内面化し、他者や周りの 事物、世界と関係を結ぶことで共同体を体現あるいは再定義する点である。
現在、パフォーマンスが抱える問題は、このような状況と決して無関係ではない。アーティストと観客間の密度の制約、空気の換気が求められる中で、パフォーマンスが観客に伝えてきた熱量や息吹、情動のような「見えないもの」の意味は、 従来とは大きく変わった。人間同士が集まる・触れ合う条件が崩れた現状では、パフォーマンスにおける儀礼も、その存在意義が問われていると言える。今必要とされるのは、パフォーマンスが持つ儀礼の力を辿ることで、共同体経験の在り方を想像することではないだろうか。
本企画では、1960年代の現代芸術に見る儀礼及び現代社会における様々な形の儀礼を参照項としている。60年代の日本では、儀式や土着性に着目し、都市の風景を捉え直す前衛芸術、アングラ演劇が現れ、他の時代とは区別される独特な雰囲気を漂わせた。例えば、密教などをモチーフに言葉によるパフォーマンスを行った松澤宥、観客との接触の媒介としての演劇を「呪術」によって探求した寺山修司らが挙げられる。
タイトルの「覚醒と幻惑」は、寺山の言葉である「醒めて狂うための集団的な祭儀」を参照し、魔的な状況や霊的な存在を呼び出す幻惑と、そこから日常現実に目覚めさせる覚醒が共在する境界的時間を探求するものである。それは、虚構と現実、個と集のメビウスの輪のような往還を、儀礼によって一時的に可視化することとも言える。各アーティストは、過去と現在における儀式、呪術、憑依、霊性、浄化、治癒、遊戯などを手がかりに、身体行為の媒介による集団的な儀礼を実践する。
今回の試みは、観客の感覚を眩ますと同時に現実への通路を作ること、約束すると同時に期待から外れていくことによって、「今、ここ」の「見えないもの」との共在を体現する共同作業である。コロナ禍で、あるいはそれ以降、パフォーマンスが持つべき力はどういうものであって、どこに向かうべきなのかという問いに迫る境界的時間になれればと考える。
権祥海